MVCM-617
前回にひきつづき『ロックへの道』を取り上げます。前回はかなり感情的になり、テーマがずれてしまったので、今回は具体的にCDに沿って書いていこう、と思ってライナーノーツを読んだら、中村とうよう氏もロックの時代について微妙な表現をしていました。曰く
「しかし今、ロックも音楽産業が消費者に提供する商品のひとつでしかないことが、誰の目にも明らかとなり、むしろポップ・ミュージックのひとつとしてロックを見なおすことが必要になっている」
というわけで、20世紀後半はロックの時代かもしれないが、その実態は以上のようなものである、ということでしょう。
タイトルの"All Roads Leads to Rock"は「すべての道はローマへ」のもじり。このシャレも「ロック」の実態へのメタファとしてはとても面白い。僕の解釈では「ロックは帝国を形成したのか」という問題提起ということになります。
こうしたテーマ設定からして、このCDは非常に難しい問題をはらんでいるのですが、試みとしては冒険的で、スリリング。改めて聞いてみて、教えられることがたくさんありました。
以下気になったことをかいつまんで書いていきます。
まずオープニング1曲目。これはマイクル・コールマンによるフィドル・チューン。僕たち50歳くらいの音楽ファンにとっては、アーロ・ガスリー『最後のブルックリンカウボーイ』のオープニングとエンディングに使われた曲として記憶に残っています。この時の演奏者は、ケヴィン・バーク、いわずとしれたボシーバンドのメンバー。このCDが発表された1996年ころはまだアイリッシュ音楽のブーム時にあったので、導入の「つかみ」としては時宜を得たものとなっています。中村氏も解説で、『アイリッシュ・ソウルを求めて』から引用をされています。
次のアーティスト、アンクル・デイブ・メイコンも僕にとっては重要なアーティスト。それは、僕の大好きな音楽家、ガス・キャノンに「フェザーベッド」という曲があり、その元歌がアンクル・デイブ・メイコンに由来するからです。中村氏の解説は力が入っており、一読に値します。アンクル・デイブ・メイコンがカーター・ファミリーにくらべて評価が低い、という批判も微笑ましい。
こんな感じで書いていくときりがないが、ひとつだけ指摘したいのは「ロック アンド ロール」 という表現について。
このCDを聞いていると、戦前すでに「ロック アンド ロール」という表現が白人アーティストの間で流通していたことがはっきりとわかります。おそらく白人マーケットを意識することで、はやくも黒人たちが作り上げた、いきいきとしたリアルな表現は抽象化され、洗練されたものに変容していき、毒とか体臭みたいなものも消されていったのだ、という印象を受けました。
白人と黒人の性表現にたいする感性の違いもその背景にあるかもしれません。
昔覚えた知識なので、正確ではないかもしれないが、黒人の踊りは表現自体は実際の性行為のミメーシス(模倣)であるが、踊り手どうしが接触しなければモラルに反しない、しかるに白人のダンスは露骨な模倣を忌み嫌ったが、踊りの時の男女の接触は問題なかった、というもの。
ダンスについてのこうした意識の違いの背景をもとに、ロック アンド ロール という表現とダンスの実態は微妙に変化していったのではないか、と思います。
戦前のロックというテーマはとても刺激的で、僕自身1940年代のデューク・エリントン楽団のライブ盤を聞いたときも、これはジャズじゃなくてロックじゃないか、と思った記憶があります。
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